自治市民宣言

自分の頭で考え行動する自治市民~Sovereign Individuals として生きる

東京都知事選2020の論点

東京都知事選も次の日曜日の投票を迎えて佳境に入ってきました。

自分の生き方は自分で決める~ 自治市民の哲学をまっとうするには、政治に目をつぶるわけにはいきません。なぜなら、政治とは公権力であり、あなたのそしてわたしの生活に日々影響を与えるからです。まるでダチョウのように頭を砂地に突っ込み、敵の姿が見えなくなったからもう危険は去った、などと安堵することは、無意味な自己満足に過ぎず、必ずしっぺ返しを食らうでしょう。

さて、では自治市民へのパスポート第1項は、投票には必ず行く、です。いくら小さな力であっても、投票権はわたしたちに与えられた公権力です。もし、その影響力の小ささが不満であるならば、政治活動に乗り出して自分の支持候補者の支援活動を行うのもいいでしょう。あるいは、自ら出馬してもよい。

政治に不満はあるけれど、どうせ誰がやっても変わらない、という姿勢は生産的でないだけでなく、今よりも悪い未来をもたらすことにもつながりかねません。

それでは、投票に行くとして何を基準に候補者を選べばよい?

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自治市民は周りの状況を注意深く観察します。そして必要な情報を集め、決断し、そして素早く行動します。もしあなたがアフリカの平原でライオンにでくわしたらどうしますか?

”なんでオレはこんなとこに来ちまったんだよ!?”

”ライオンが人間を襲うなんで理不尽よ!!!”

などと不平・不満を連ねながら、ライオンに食われますか?

自治市民なら、現在の絶望的な状況を潔く認めながらも、しかし最後の最後まで最善の戦いをあきらめません。

自分の恐怖に好きにさせるな。

どこかに逃げ場はないか、武器は? ライオンは私を襲おうとしているのか、
これらの情報を瞬時に集め、判断して行動しなければなりません。

さて、政治の世界ではわたしたち有権者が集められる状況証拠とは何でしょうか?

わたしの1票を信託する候補者、、しかし問題はわたしは候補者を誰も個人的には知りません。 小池百合子宇都宮健児山本太郎も誰も個人的には知らない。

そんな中で、唯一判断材料となるのが公約です。 わたしは小池百合子を個人的に知らない、そんな中で彼女を個人的に信頼できるかどうかなぞ判断できません。見るべきは公約です。

https://jichishimin.hatenablog.com/entry/2020/07/03/103117

現時点で主要候補と目されている、小池百合子山本太郎の2人の主要公約を上のページにまとめました。

数値目標と検証可能性のコラムはわたしが追加しました。注目すべきは小池百合子の政策には数値目標はありません。また、”女性と子供が輝く東京”
”グレーター東京” など正確に定義されていない造語が多用されるのも、彼女の公約の特徴です。 言葉が正確に定義されず、数値目標もなかったら彼女が当選した後で公約を守ったかどうかの検証は不可能です。したがって検証可能性はすべて不可となっています。

それに対して、山本太郎の公約は”全都民に10万円””病院の減収に対して前年度の診療報酬を保証”と具体的です。おのずと検証可能性は可能となります。

全都民に10万円を支給する、山本太郎の政策を”判断”する前に、まずはこの公約の記述の仕方が判断の基準になります。

小池百合子の公約には正確な定義が欠けている。これは彼女が後々公約の検証から逃げようとしている意志がある、と判断することは、自然な類推に思えます。

投票は、われわれ有権者と候補者との契約です。民法の世界では、契約を守らなかったら、相手方は契約解除、そして損害賠償を求められることになっています。

これを投票に当てはめると、候補者が当選してから公約を守らない場合は、債務不履行にあたり、有権者は契約解除、すなわち都知事から降りてもらうことを要求できることになります。

民法により、通常の日常世界で求められている規範が、なぜ政治では無視できるのか?

まずはわたしたち有権者が、候補者の公約、そしてそれの実行を綿密に検証することで、政治の世界にまともな論理を呼び込みましょう。








東京都知事選2020政策比較~小池百合子vs山本太郎

候補者 大テーマ 詳細 数値目標 検証可能性
小池百合子 東京の未来は都民と決める      
  感染症対策 東京版CDC(疾病対策予防センター)の創設 なし 可能
    PCRほか各種検査体制の強化 なし 不可
    病院・医療従事者へのサポート強化 なし 不可
    救急搬送体制の強化 なし 不可
    マスク・消毒液などの衛生資材の備蓄 なし 不可
    ワクチン・治療薬の開発支援強化 なし 不可
  都民の命を守り「稼ぐ」東京の実現 子どもと女性が輝く東京 なし 不可
    健康・長寿で「シニア活躍」 なし 不可
    多様性を力に変える「共生社会」東京 なし 不可
  都民ファースト」の視点での行財政改革構造改革 デジタル化による都民サービス(QoS)の向上 なし 不可
    都庁の行財政改革/賢い支出(ワイズ・スペンディング)の徹底 なし 不可
    「グレーター東京」(大東京圏)構想の推進 なし 不可
         
山本太郎 たらないのは愛とカネだ、15兆円であなたを底上げ      
  総額15兆円で、あなたのコロナ損失を補てん 全都民に10万円給付 あり 可能
    学校授業料1年間免除 あり 可能
    抽象個人事業主の収入前年比マイナスを補てん あり 可能
    病院減収に対し、災害時と同様に前年度の診療報酬料を保証 あり 可能
  コロナ第二派・第三波により再度自粛が必要な場合 全都民に10万円再給付 あり 可能
    全事業者に簡単なWeb申請で100万円支給 あり 可能
    水道光熱費1年間免除 あり 可能
    医療従事者や保育・看護職など危険手当2.4 万円 あり 可能
    都の職人3000人を雇用 あり 可能
  住まいは権利を東京から 都営住宅空き部屋などを借り上げ安い家賃で提供 なし 不可
    保育所・特養の増設、介護職の待遇改善 なし 不可

東京都知事選2020-各候補者の政策

候補者 大テーマ 詳細 数値目標 検証可能性
小池百合子 東京の未来は都民と決める      
  感染症対策 東京版CDC(疾病対策予防センター)の創設 なし 不可
    PCRほか各種検査体制の強化 なし 不可
    病院・医療従事者へのサポート強化 なし 不可
    救急搬送体制の強化 なし 不可
    マスク・消毒液などの衛生資材の備蓄 なし 不可
    ワクチン・治療薬の開発支援強化 なし 不可
  都民の命を守り「稼ぐ」東京の実現 子どもと女性が輝く東京 なし 不可
    健康・長寿で「シニア活躍」 なし 不可
    多様性を力に変える「共生社会」東京 なし 不可
  都民ファースト」の視点での行財政改革構造改革 デジタル化による都民サービス(QoS)の向上 なし 不可
    都庁の行財政改革/賢い支出(ワイズ・スペンディング)の徹底 なし 不可
    「グレーター東京」(大東京圏)構想の推進 なし 不可
2016年の公約7つのゼロ 待機児童ゼロ △2016年8466人 → 2019年3690人    
  介護離職ゼロ ?達成証券不明    
  残業ゼロ ×    
  都道電柱ゼロ    
  満員電車ゼロ ×    
  多磨格差ゼロ ?達成証券不明    
  ペット殺処分ゼロ    

東京都知事選2020-主要候補の政策

何かと面倒なことになることが多い政治の話題。極端にいえば、政治が多くの人を生かすも殺すも自由な程の権力を握っていることを考えれば、政治の話をするともめることが多いのも理解できます。

しかし、周りの制度、状況を冷静に理解したうえで、自分の生存、幸福にとって最大の行動を取ることができてはじめて、自治市民となることができると言えるでしょう。いたずらに、周りの状況に押し流されるだけでは、物質的にも精神的にも落ち着いた状況を維持することはおぼつかないからです。

さて、筆者は東京に住んでいます。ご存じの通り、ここ東京で都知事選が実施されます。自治市民としては、周りの状況に最善の注意を払いますから、この選挙が自分の身に降りかかってくること、だから、まずは投票に向かうことが最低限必要な行動です。

では、どの候補者に投票すべきなのか?  先に政治は面倒だと言いましたが、政治が面倒になる一番の原因は、必要以上に感情移入するからです。例え、小池百合子が再選されても、あるいは大番狂わせで山本太郎が当選しても、わたしたちの日々は続いていきます。小池さんが、あるいは山本さんがわたしたちの人生を代わりに生きてくれることはないのです。

まずは政治に必要以上感情移入することを避けて冷静な視点を維持します。

好き嫌いでないのなら、何によって投票する候補者を選べばよいのでしょうか?

わたしは政治というのは、公約を介した政治家と有権者の契約だと考えています。この構図が見えにくくなるのは、この契約関係が1対1ではなく、1人の候補者と無数の有権者という1対多数という関係にあるからです。 しかし、政治家が選挙運動で声高に公約を約束し、有権者がそれを信じて一票を投じそして彼/彼女が当選して権力を得たのならば、都知事はその契約を実行する義務があります。

今、多くの人々が投票に行かず、だから間接民主主義が危機に瀕したいる原因の多くはこの政治家の公約破りにあると言っていいでしょう。

民法では、契約が結ばれて、そして契約で約束した債務を果たさないと債務不履行と呼ばれます。ここでいうと、候補者と有権者の関係が契約であると仮定すると、候補者による公約破りは、債務不履行です。そして、民法では債務不履行が行われると、契約解除を行ってよいことになっています。つまり、候補者が当選後に公約を破って、すなわち債務不履行に陥ると、有権者は契約を解除できる、すなわちその候補者に投じた票を撤回し、その候補者の当選を取り消すことができる必要があります。

当然、現在でそのようなシステムはありません。個人的には、選挙委員会の仕事として当選後公約が実行されたかどうかの検証を行う必要があると考えています。










思考訓練 - 日銀が企業の大株主になる?

自治市民のパスポートを得るには、瞬間の感情の乱れ、思考ノイズを鎮めて、自分の頭で冷静に考えることです。

2020年5月28日付の朝日新聞で、日銀が日本株の最大大株主になったことが報じられました。 日銀といえば日本の中央銀行です。中央銀行が多くの会社の大株主になる?
あまりストレートには理解できない事態です。

ゆっくりと順を追って考えてみましょう。

そもそも日銀が保有している株式とは何か?  ある人たちが業を起こして企業となるためには通常おカネが要ります。その資金を自分たちで賄えれば素晴らしいですが、普通はそうはいきません。そうなると、他人に自分たちの会社におカネを出してもらうために、自分たちの計画を説明することで出資を募ることが必要となります。


他人のおカネを自分たちの会社に入れてもらうために必ずしも株式会社とする必要はありませんが、これが今一番一般的な形となっています。

さて日銀が株を買うおカネはどこから来ているのでしょうか?  わたしたちが払った税金?  いえいえ、日銀だけに与えられた特権というのはおカネを刷ることができるということです。日銀は、彼らが刷ったそのおカネを使って株式を買い、会社経営資金として会社に渡している、ということです。

しかし、日銀が例えばトヨタ株を買ったからと言って、車の作り方に日銀が口を出すわけでもなく、野村証券の株主になったかといっても株式を営業するわけでもありません。

この当たりでおカネと実体経済は分離してきて、資本主義の根源はこのあたりにあります。すなわち、出資者はおカネを出しても日々の業務の細かいところまで口はださない。  しかし会社が利益を出しても、そのすべてが社員に行くわけではなく、手は出さなくともおカネは出している人々、すなわち出資者日銀に利益が配分されます。

しかし、日銀は買った株式が値上がりして利益を出すために株式に投資しているのでしょうか? いえいえ、日銀はおカネが欲しければ刷ることができます。なんでそんなまどろっこしいことをやる必要がありましょうか。

彼らが株式を買っているのは、株価を支えて投資家に損がでないようにすることで間接的に景気を下支えする意図を持っていることと、加えて会社の経営資金を潤沢にすることで会社が生産活動により多くのおカネを使うことを期待して株を買っているわけです。

しかし、ここで疑問が出てきます。

日銀はおカネを刷って株式を買っています。ではその刷ったおカネを政府の財政支出に使うとどうなるのでしょうか? 例えば、公共事業をやるとか、今回のコロナ禍対処の給付金の財源としてです。

これが赤字国債による財政支出となり、これは悪評プンプンです。この赤字国債を財源とする財政支出と日銀による株買いがどのように異なるのか?

最大の違いは、日銀から提供されたオカネの使い方を、民間が決めるか、公務員、あるいは政治家が決めるか、ということ。現金給付では、公務員が決める過程も入りません。単純に、政府の赤字が国民の資産と化す、だけです。

日銀による株買いには懸念の声は聞かれるものの、経済学者、識者から反対の声はそれほど出ていないようです。

それに対して、日銀=政府の貨幣発行による財政支出にはありとあらゆるところから反対の矢が飛んできます。

この理由はいったいどこにあるのでしょうか?

 
おやおや、日銀の株買いに対して、日銀負担による政府財政支出の是非、、
これが次の思考訓練の題材となってきました。

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2020年5月28日付朝日新聞

 

自分の頭で考えてみよう

前回のエントリーではマルクス・ガブリエルを例に取って、なぜ自治市民になるために哲学が必要かを簡単に説明しました。

しかし、哲学という話題の性格上ややこしい話になってしまいました。

あーだ、こーだ、話したあげくいいたかったことは、結局、わたしたちという主体とそして周りの世界がある中で、理解できることもあればできないこともあるだろう。

でも、

語たり得るものは語られねばならない”   ルドルフ・ヴィトゲンシュタイン

わたしたちは、すべてのことを理解しているわけではないし、また構造上理解できないものもあるかもしれない。でも、わかるものは考えなきゃならないし、語らなければならない。

これだけのことを言いたくて、わたしはこのブログを開設しました。

さて、わたしがここ数年来理解できなくて、ずっと不思議に思っていたことがあります。

自分の頭で考える練習問題として、みなさんも考えてみてください。

”日本の国の借金は1000兆円に上り、GDP比では200%を超える。これは、先進国間では最悪水準であり、日本の財政は危機にある。” 

それでは、コロナ禍、原油価格の急騰、紛争、戦争などいわゆる緊急時が起こり、
金融市場で投資のリスクを下げる、いわゆるリスクオフの動きが起きるたびに、わたしたちはなぜニュースで以下のコメントを繰り返し聞くのでしょうか?

”本日xxxxを原因として、市場でリスクを減らす動きの一環で、安全資産として日本円が買われドル円相場は上昇しました。”

考えてみれば不思議な現象ではありませんか?

このような身の回りの不思議 (・・? について考えるはじめることが、自治市民への第一歩です。







自治市民と哲学

哲学って必要?  

普段、自然に哲学という言葉が頭に浮かぶ人でさえ、正面切ってこう聞かれたら、答えに窮してしまうのではないだろうか?

最近売り出し中の哲学者にマルクス・ガブリエルという人がいる。NHKスペシャルの欲望の資本主義シリーズで取り上げられて以来人気を博し、哲学界のミックジャガーとの異名を取っている。

なぜ、ミックジャガーなのか?  ジャガーというとあのセクシーな唇を思い出すだろう。あの唇が象徴するように、雄弁、英語でいうとvocal なのだ。

マルクス・ガブリエルは雄弁である。しかし、ただよくしゃべるだけではなく、わたしたちの日常生活に関して雄弁、それも哲学のコンセプトと日常世界の橋渡しをしてくれる。

彼のこのような姿勢は、えてして難解な専門用語の多用を目くらましとして使う、凡百の学者センセイたちと、根本的に異なる点だ。

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Marcus Gabriel

なぜ今自治市民になるために、彼の哲学が有益なのか?  

それは戦後西洋社会の背骨であった自由と民主主義を否定する政治勢力が勢力、存在感を増していることにある。

さらに、コロナ禍によって世界的に集団ヒステリーが高まり、人々の心が安定を失っている中で、自由と民主主義が必要か?と問うためには、どうしたって一貫した哲学的な思想が必要だと思うからだ。

わたしたちは哲学を欲している。

そのような中で、マルクス・ガブリエルは象牙の塔か敢えて出て、わたしたちに語り掛けてくれている稀有な哲学者だ。

さて、彼曰く、

”トランプはポスト真実時代の有能な政治家だ”  

トランプはいかに間抜けに見えても、ぽっとでのおっさんではない。彼が米国大統領にまで登りつけたその理由を考えてみよう。

時代は、あの苦しかった(といっても実際に経験した人は少ないだろうが)
第二次世界大戦の終了、70年前に遡る。

あれだけの犠牲を払った人々はもう沢山だ、と心の底から感じたはずだ。そして新しい世界、戦争のない平和な世界を心から望んだ。

そのような時代精神マルクス・ガブリエルの言葉でいうとガイスト、の申し子としてサルトル実存主義が人気を博した。

このような嘔吐すべき現実社会、その中で人間のみがあるべき道を選べる、すなわち実存への道を選べる、、とする彼の言説は熱烈な歓迎を見た。つまりは彼が時代精神、ガイストを体現していたからだ。

しかし、サルトル実存主義は、その絶頂の中で突然木っ端みじんに砕かれる。

いわゆる未開の社会といわゆる進んだ西洋社会の間に共通の*構造を見出すことで、進歩的な白人西洋人と未開の原住民社会には根本的な差異などないことを見出した、レビィ=ストロースの構造主義が、サルトルをも”20世紀のヨーロッパにおける西洋社会における自己陶酔的行為”として観察材料へと貶めたことによる。

そして構造主義の時代が始まった。時代的には、全世界的に不穏な空気が漂った1968年以降である。希代のアーティストであったビートルズの音楽を聴くと、それがよくわかる。

St Pepper's Lonely Heart's Club Band 1967

The Beatles White Album 1968 

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Beatles St. Pepper's vs. White Album



この2枚のアルバムを聴き比べていただきたい。たった一年の差なのに、サージェントペッパーのハッピーな夢に比べて、ホワイトアルバム全編に漂うこの苦い思いは何だ?

”人々はサルトル夢想したような英雄的実存的な生き方ができる主体などではなく、外部世界=構造の力学の結束点に過ぎない。” 

という構造主義の時代が始まり、人々は戦後民主主義という確固たる価値軸を失った。

これが今もはびこる真実のない事態=Post Truthの前触れだった。

マルクス・ガブリエルによると、トランプはこのようなポストトゥルース時代を逆手に取ることで権力への道を上り詰めた天才政治家なのである。

人々は構造、ガイストによって影響される、風にもまれて落ちる木の葉のような存在である。あなたの真実は、わたしの真実ではない。絶対的な真実などない。

しかし、このPost Truth哲学は深刻な死に至る病だと思う。

習近平、トランプ、プーチンなどのPost Truth 政治家が危険なのも明らか。

マルクス・ガブリエルは、構造主義によって木っ端みじんに粉砕された実存主義を引きつき、構造主義、相対真実主義、Post Truthを経て、人間的価値を再構築という荒野を歩んでいる。

だからこそ彼の言説は、自治市民にとって有用だ。