前回のエントリーではマルクス・ガブリエルを例に取って、なぜ自治市民になるために哲学が必要かを簡単に説明しました。
しかし、哲学という話題の性格上ややこしい話になってしまいました。
あーだ、こーだ、話したあげくいいたかったことは、結局、わたしたちという主体とそして周りの世界がある中で、理解できることもあればできないこともあるだろう。
でも、
”語たり得るものは語られねばならない” ルドルフ・ヴィトゲンシュタイン
わたしたちは、すべてのことを理解しているわけではないし、また構造上理解できないものもあるかもしれない。でも、わかるものは考えなきゃならないし、語らなければならない。
これだけのことを言いたくて、わたしはこのブログを開設しました。
さて、わたしがここ数年来理解できなくて、ずっと不思議に思っていたことがあります。
自分の頭で考える練習問題として、みなさんも考えてみてください。
”日本の国の借金は1000兆円に上り、GDP比では200%を超える。これは、先進国間では最悪水準であり、日本の財政は危機にある。”
それでは、コロナ禍、原油価格の急騰、紛争、戦争などいわゆる緊急時が起こり、
金融市場で投資のリスクを下げる、いわゆるリスクオフの動きが起きるたびに、わたしたちはなぜニュースで以下のコメントを繰り返し聞くのでしょうか?
”本日xxxxを原因として、市場でリスクを減らす動きの一環で、安全資産として日本円が買われ、ドル円相場は上昇しました。”
考えてみれば不思議な現象ではありませんか?
このような身の回りの不思議 (・・? について考えるはじめることが、自治市民への第一歩です。